GIVE(与える)だけでは成功しない!?
『与えよ、さらば与えられん』
新約聖書に記載されている有名な一節ですね。
大昔から言われている事でもあり、今現在でもこの思想はとても大事なのではないでしょうか?
もう少し現代風にすると『何かが欲しいのなら、まずは自分から相手に渡そうね。そうすれば、いつか自分に返ってくるよ。』みたいな感じですね。
しかし、周りを見渡してみると、自分の損得や利益だけを優先し、『与える人』ではなく『奪う人』を見かけることもあります。
人は、3種類の思考と行動で分けられます。
ギバー(与える人)
損得を考えずに、まずは自分から与える人。
テイカー(奪う人)
自分の利益を最優先し、人から奪う人。
マッチャー(バランスを取る人)
関係性は損得も含め、五分五分であるとする人。
こうやって見ると、なんだかギバーの人こそが成功していくように見えないでしょうか?
自分から与えていけば、自分も与えてもらえる。
でも、実はこの考え方はテイカーなのです。
テイカーは決して、与えないわけではありません。
テイカーも、自分から先に相手に与える事もあります。
それは、自分に利益があると確信した時のみ自分からギブするんですね。
ですので、テイカーはあくまで自分が得をするための手段としてギブを使います。
反対にギバーは、思考と行動が逆で、とにかく相手を思いギブから始めます。
結果的に、ギブが返ってくるのですが、与えてもらうことを目的としていないところが、ギバーとテイカーの違いです。
では、ギバー・テイカー・マッチャーのうち、どの思考と行動のタイプの人が、最も成功するのか?
これは、ギバーの人なんです。
ところが、最も成功しないのもギバーの人なのです。
それはなぜか?
実はギバーも、大きく2つに分けることができます。
- 自己犠牲のギバー
- 他社指向性を持っているギバー
『自己犠牲のギバー』とは、自分の事を顧みずとにかく人を助ける事を続けていくうちに、心身ともに疲れ果ててしまい燃え尽きてしまう人の事です。
ボランティア活動を行っている人に近いかもしれません。
ボランティア自体が悪いと言うわけではありません。
しかし、目的がないままボランティアを続けていく事で、いつしか『何のためにやっているのか?』の意義や意味が薄れていき、一種の義務感だけで続けていくと、自分の心身が削られている事に気づけず、おかしいなと思った時にはすでに燃え尽きてしまっているという話を聞いた事があります。
人のため、誰かのため、社会のためと続けているうちに、自分を忘れてしまい、『やらなくてはいけない』という義務のみで動いてしまっているのです。
これが、『自己犠牲のギバー』です。
では『他社指向性を持っているギバー』はどんな人かと言うと、『人に与えることが、自分にとって意義があり、楽しめている』という人です。
これは、利益や損得を優先しているギバーとは違い、相手を思い助けることで自分自身も助かっているのです。
利益や損得ではなく、自分の幸せや自分らしくいられるギブなのかをとても大切にしているので、目的意識がはっきりしています。
だからこそ『自己犠牲のギバー』は、思考と行動が相手のみになってしまい、自分の犠牲を厭わない。
『他社指向性を持っているギバー』は、相手も助けるがそれにより自分も助けている。
この違いこそが、最も成功するのはギバーであり、最も成功しないのもギバーなのです。
この内容は『GIVE & TAKE ~「与える人」こそ成功する時代~』に、より詳しく書かれているので、もし興味が湧いてきましたら、ぜひ読んでみて下さい!
あなたはギバー・テイカー・マッチャーの、どこにいますか?
ではまた!